「学校に行きたいけど行けない」
「学校へは行きたいと思ってるけど行けない」
という言葉、子どもからも親からも聞くことがあります。
わが家も、当時子どもが学校に行きたくないときに使っていた言葉ですし、親が学校の先生やママ友に伝えるときにも使っていた言葉です。
行きたいと思っているのに事情があって本当に行けない方もおられますが、今回はそのことではなく、行き渋りや不登校の子どもが言うこの言葉に隠された意味を考えてみます。
学校に行きたいけど行けないってどのような気持ちなのか
本当に「行きたい」なら行けばいいのです。
でも「行けない」ってなに?なんで?
言葉が矛盾しています。
私自身、以前は、矛盾している言葉だと考えたこともなかったのですが、指摘されて矛盾していることに気づきました。
どうして子どもはこんなふうに矛盾した言葉を言うのでしょうか。
「学校に行きたい」とは思っている。
でも「行けない」とも思っている。
行きたいのに行けないって、行きたいのか、行きたくないのかどっち?っていう話しです。
実は「行きたい」と言ってる言葉の背景には以下のようなことが隠れていたりします。
・学校に行かなくてはならない
・理由はどうであれ学校へは行くものである
こんなふうに学校へ行くのがあたりまえだと思っているのです。
親にもそういう気持ちが大きくないでしょうか?
そういう考えが親にあると、子どもにも気付かないうちにすり込まれているものです。
そして、すり込まれた考えが以下のように言葉が変化していきます。
「学校へは行かなければいけないと思っている」
「学校へは行くべきだと思っている」
「行かなきゃいけないのは分かってる」
「行きたいと思ってる」
「学校へは行きたい」
「学校に行きたい」
でも「行けない」のです
行かなきゃいけないのは分かってるけど行けないのです。
世間一般でも、学校へ行くのはあたりまえなんだけど、それは頭ではじゅうぶんに分かっているんだけど、心と身体が「行けない」と言っているのです。
本心は、「行けない」じゃなくて「行きたくない」のほうが正しいのだと思います。
シンプルに「行きたくない」、ただそれだけなんだと思います。
それが世の中の常識や世間体から、「学校に行きたくても行けない」という矛盾した言葉になるんだと思います。
理由が分からないこともある
子どもが学校に行きたくない理由はそれぞれだし、本人にも理由が分からないことだってあります。
子どもが「学校に行きたくても行けない」と言ってきたら、「行かなきゃいけないんだから行きなさい!」と言いますか?
もしかしたら世間や大人たちの影響で、矛盾した言葉を言わせてしまっているのかもしれません。
子どもは、素直に「行きたくない」「休みたい」と言っても、休ませてくれないことを知っているのかもしれません。
学校へは行けるなら行ったほうがいいと思うのですが、そういう世の中のあたりまえはいったん横に置いておいて、まずは子どもの話しを聴いてみませんか?
きっと、そういう言葉が出るまでに、子どもはいっぱいいっぱい頑張ってきたのかもしれません。
子どもが本心を打ち明けられるような親子関係がいいなと思います。
親から「本当は行きたくないんじゃないの?」と尋ねるのではなくて、子どものほうから「行きたくない」とちゃんと自分の気持ちを伝えられる関係を築いていけたらいいなと思います。
親は何があっても子どもの仲間でいてあげたいですよね。
さいごに
以上、「学校に行きたいけど行けないってどのような気持ちなのか」でした。