記事内に広告が含まれています。

自己否定は幼少期に原因が?!やめられない自己否定感をやめるには!

子育て

私たちは自己否定をいつどこで身につけたのでしょうか。
原因は幼少期にあるといいます。

では幼少期のどのタイミングで身につけたのか、そして身につけた自己否定感がやめられない理由とやめる方法について探っていきたいと思います。

自己否定を身につけたタイミングは幼少期

私たちは生まれた瞬間が生涯で一番自己肯定感が高い状態だといわれています。
赤ちゃんは自己否定していません。
ということは、幼少期どこかのタイミングで自己否定を身につけているのです。

幼少期に過ごす主な場所は家庭と学校です。
主にこの2つの場所で身につけていることが多いです。
身につけるタイミングはこれ以外にもいろいろあると思いますが、ここでは主な2つとして以下にまとめました。

【幼少期に過ごす2つの主な場所】
①家庭の中での親子関係
②学校生活で先生やクラスメイトとの関係

①家庭の中での親子関係

まず一つ目のタイミング「家庭の中での親子関係」について。

私たちが人生を生きていくための教えの多くは自分自身の体験からです。
そして家庭の中でも親からたくさんのことを学びます。

その時、親からいろいろな言葉を投げかけられます。
その中には否定的な言葉もたくさんあると思うのです。
例えば以下のような言葉です。

【否定的な言葉の例】
・ちゃんとしなさい
・○○をしてはだめ
・早くしなさい
・ほんとうにどうしようもないねえ
・わがまま言わないの
・なんでできないの
・世のため人のためよ
・あぶない!
・なにをやってるの
・何をやってもダメね、など

親からの否定的な言葉に、私たちは無意識で以下のようなことを感じています。
【無意識で感じていることの例】
・ちゃんとしなきゃ
・迷惑かけないようにしないと!
・ごめんなさい。わたしが悪いんだ
・わがまま言わないようにしよう

こういった親とのやり取りは日常的なので、何度も何度も繰り返されて、その繰り返しが以下のような思考を生み出して、その思考が習慣となり染みついていきます。
【思考習慣の例】
・自分は愛してもらう資格がない
・自分の好きなようにしてはいけない
・失敗してはいけない
・迷惑をかけてはいけない
・親の許可がいる
・ほんとうに申し訳ない
・自分は何もできない
・なんのとりえもない
・○○に比べて全然出来ていない
・がんばらなければ
・ちゃんとしなければ
・私より相手を優先しなきゃ
・私はできないんだ
・私はだめな子なんだ、など

こういう思考の習慣が染みつくと、こういう考えが無意識に自動的に起こるようになります。

これを聞くと、「親に植え付けられたんだ!」「親のせいだ!」と思うかもしれませんが親が悪いわけではないのです。
親からどれだけひどい扱いを受けていたとしても親に悪意はないのです。
親に余裕が無かったり対応を知らなかっただけなのです。

親は子どもを愛する気持ちがあるからこそ、よりよい人生を歩んでほしいからこそ、良かれと思って言葉を投げかけているし、教えてあげようと思っているのです。

だからといって「親を肯定しよう!」ということではなくて、頭の片隅で「親もきっと大変だったんだな」くらいに思っていてもらえたらと思います。

そうやって一つ目のタイミング「家庭の中の親子関係」で私たちは自己否定をするようになりました。

②学校生活で先生やクラスメイトとの関係

2つ目の自己否定を身につけたタイミングは学校生活です。
家庭の次に幼少期を長く過ごす場所です。
学校でクラスのリーダーは先生なのでここでは先生の話しをします。

日本の学校教育の大前提は「みんなで同じことを学びましょう」という、全員が同じレベルを目指して教育するので、どうしても同調的な雰囲気がクラスや学校全体にあります。
現在は多様性を重視し個性を尊重する傾向になってきていますが、昔は同調的な雰囲気が強かったです。
その同調的な雰囲気から抜け出した存在になってしまうと頭打ちされたり、ひとりでいるとわざわざ仲間外れ感を出されたりしていました。

・出る杭は打たれる
・みんなと一緒でいたほうがいい
・みんなと一緒でいなければならない
・ひとりぼっちはかわいそう

さらに同調的な雰囲気から外れていると、先生から心配されなんとかみんなと一緒にさせようとしてくれたりします。
それは先生目線に立てば生徒を思ってのことかもしれないけれど、生徒側の気持ちを考慮したものではないのがほとんどです。
先生の中には自分自身を肯定できるように促してくれる先生もいますが、良くも悪くも「みんな一緒」の教育です。

先生の評価システムは明確に文字や言葉にされることはありませんが、以下のようなメッセージを持っていたのではないでしょうか。
・抜きんでた才能は評価されずに抑圧される
・苦手な事があれば何とかしてできるように促される
・なるべく平均的でみんなと同じ能力のところで落ち着かせようとさせられる

このようなシステムに合う子であればいいけど、そうじゃない子も少なからずいます。
そんなときに自己否定の習慣を身につけていくのです。
・みんなと一緒でいたほうがいい
・自分が自分のままでいるのはいけない
という刷り込みで自己肯定感が下がっていきます。

そういう同調圧力を含んだ同調教育というのが少なからず学校教育にはあります。
まじめに学校教育を受けていればいるほど同調意識を身につけやすくなります。
もちろん全員ではなく、学校に通っていながらも同調意識にのまれず自分のままでいられる人もいます。

ここでも「先生最悪!」「学校のせいで自己否定が身についてしまった!」「自己肯定感が低くなる教育を受けた!」と思う人もいるかもしれません。
そう思っていてもいいのですが、ここでもやっぱり先生が悪いわけではないのです。
体罰や罵声を浴びせられていたとしても基本的には先生に悪意はないのです。
先生も先生で余裕が無かったり対応を知らないだけなのです。

ここまでで、自己否定を身につけた2つのタイミングについてお話ししました。
自己肯定感が低くなりはじめたのはどの地点か?
自己否定をどの時点で身につけたのか?というのがなんとなく理解できたでしょうか。

このあと自己否定の仕組みについてお話しします。

自己否定の仕組み

身につけた自己否定がどういう仕組みでやめられないのか。

私たちは家庭や学校生活で自己否定を身につけましたが、自己肯定感の低い人間になったわけではないのです。
そうではなくて「自己否定の習慣がついただけ」なのです。

ずっと絶え間なく自己否定し続けてる人はいません。
自己否定している時と自己否定していない時があります。
自己肯定感が低い時もあるし高い時もあるのです。
だから、そういう人間になったのではなくてただそういう「習慣がついた」だけです。

ではどんな時に自己肯定感が低くなるのか、どんな時に自己否定するのかというと、今現在あなたが、自己否定を身につけた親や先生など特定の対人関係の中にいるかどうかです。

過去や未来ではなく「今現在」です。
その特定の対人関係の中にいるときに自己肯定感が下がります。
特定の人と一緒にいないときやその人のことを考えていないとき自己肯定感は低くないのです。
特定の人を意識している時にだけ自己肯定感が下がります。

どうして特定の対人関係でのみ自己肯定感が下がるのかというと、そうしたほうがその人とうまく関われるからです。
その特定の人にとっても自己肯定感の低い私のほうが都合がいいのです。

だから、自己肯定感が低いまま付き合っていたのは、その特定の対人関係のなかで生き残るための戦略だったのです。
私たちは特定の人との関わりの中で、自己否定して嫌われない生き方、自己肯定感を下げたまま生きるコツを身につけたのです。

でもどうして特定の対人関係の中にいないときにも自己否定してしまうのかはつぎに続きます。

やめられない自己否定感!それをやめる方法

特定の人と居ないとき、ほかの対人関係の中でもなぜ自己否定してしまうのか。

私たちは親など特定の人との関わりの中で、自己否定して嫌われない生き方、自己肯定感を下げたまま生きるコツを身につけ習慣化しました。
それと同時に、自己受容すると人から嫌われてしまうという思い込みも身につけてきました。

そしてそのコツを応用して、自己肯定感を下げたまま付き合える人や自己否定しながら人と付き合っていくことを無意識のうちに選んで関わってきたのです。
そうしたほうがその人とうまく関われると思っているからです。

無意識に選んだ人たちは、私が自己否定しているときだけ付き合ってくれる相手なのか、自己否定してても自己受容してても変わらず付き合ってくれる相手なのかは分かりません。
だから人と交流しているとき「相手がどう思うのか」を気にして、「自分が出せない」「自分を出さない」ということが起こります。

その人との関係で「自分を出す」「自分を生きる」「自分の感じたまま、思ったままの自分でいる」という態度は、その人に嫌われるかもしれないし離れていくかもしれないという恐怖から自己受容する勇気が出ないのです。
なぜなら自分を出して人から好かれたという体験が少ないですから。

そうやって「自己否定しているほうが生きやすいんだ」と無意識に思い、特定の人以外のほかの対人関係の中でも自己否定をやめられなくなっているのです。

本来自己否定の仕組みから考えると、特定の人と一緒にいない時や、その人のことを考えていない時は自己肯定感は低くないはずなんです。

それには、人は相手によって自分自身を見せる性格が変わることから分かります。
例えば、友人の前での性格や親の前での性格、夫の前での性格、子供、初対面の人、職場の人など、相手によって見せる性格が変わるところをみると、自己肯定感が高くいられる対人関係もあることを想像できると思います。
だから今現在の対人関係によっても自己肯定感は変わるはずなのです。

ではどうすれば自己否定をやめられるのかというと、自己否定している思考にまず気づくことです。

親など特定の人から投げかけられた言葉によって無意識に感じる気持ちから身に付いた思考習慣に気づいてその思考を意識的に観ます。

観るというのは、湧いてきた思考や感情を判断したり良い悪いのジャッジをしたりどうにかしようとするのではなくただ観照して見守るだけです。
客観的に眺める感じ。

そうすると、思考が勝手にいろんなことを判断しているのがみえてきます。
そのいろんな思考を全部意識して観ていきます。
例えば「やっぱり私はだめなんだ。いや、だめなんかじゃない、私はできるんだ」とか「だめだと考えるのはだめだからポジティブに考えよう」などという思考を観ます。

無理に自己肯定する必要はないし、感情を押さえ込む必要もないです。
思考を味わったり浸ったりもしません。
湧いてくるままをただただ観るだけです。

そういう思考の動きは悪者ではなく、私のことを守るために湧いてきているものなので、気づいたら「ありがとう」と心の中で言います。
ありがとうに感情を込めたり感謝したりするのではなく、ただ「ありがとう」と言うことで思考との距離ができ、それ以上自分で何とかしようとしなくなるための言葉です。
ありのままの思考や感情に「ありがとう」と尊重して受取って終わりです。

この、「思考を観る」「ありがとう」を日常的に続けていくと、それはやがて、過去の出来事から身に付いた思考習慣を目の前の出来事にも自動的に使っているんだと気づき、気づけばさらに、今現在はどうしたいのか選択することができることが分かってきます。
そのとき、自己否定していてもいいし、自己肯定してもどちらでもいいです。
大事なのは思考を自動運転させるのではなく、湧いてくる思考に気づいてそれを観ることです。

最初はうまくいかないです。
数か月ですっかりよくなるものでもありません。
そして自己否定の思考がなくなるわけでもなく、消えるわけでもありません。
感情を伴わない単なる記憶となり、気づいたら以前より少し自己肯定感が上がったかな?くらいで十分なのです。
自己否定が無い人なんていません。

注意点として、今現在自己否定していないのに、自己否定している自分を見つけにいったりしません。
今現在、自動的に自己否定している自分に気づくことです。
そのときの感情で涙が出てきても、「泣くな」とか「こらえよう」ではありません。
押さえ込んだり消そうとしません。
感情は出していいですが、感情に浸らずに観ていきましょう。

そのとき以下のことを一緒に考えると深堀りできるかもしれません。
・その時どういう気持ち(感情)だった?
・なぜこの気持ちになったのだろう
・自己否定して誰にどう思ってほしいのか
・どう言ってもらいたかったのか

自己否定まとめ

以上、「自己否定は幼少期に原因が?!やめられない自己否定感をやめるには!」についてお届けしました。

どんな私もOKです。

スポンサーリンク
子育て
スポンサーリンク