自分自身の存在価値にはふたつの意味があると思っています。
ひとつは実存している価値。
もうひとつは認識している価値。
一般的に「私の存在価値って何だろう」とか「私って価値がない」と言ったり思ったりする価値というのは、実存している価値のことではなくて認識している価値のことです。
少し詳しく見ていきましょう。
実存している価値とは
実存している価値というのは「この世に存在していること自体が絶対的な価値」のことです。
誰から何と言われようと変わらない価値であり、自分自身をどう思おうと変わらない価値のことをいいます。
価値が高いとか低いとかではなく、私たちは存在しているだけで価値があります。
この世で唯一無二の存在です。
価値に値段をつけられるものではないし、評価したり何かと比べたりするものでもなく、ほかに変わりがいない絶対的な価値があります。
ただ存在しているだけで価値があります。
例えば私たちが亡くなったとしても存在していた事実が残っているので価値は失われません。
役に立ててないとしても、世界中から嫌われていたとしても、自分で自分をどう思っていても、実存している価値を変えることはできないし価値は失われません。
だから、どれだけ自己否定していたとしても、人に言えないようなやらかしをしたとしても、人に迷惑かけても、親から見捨てられたとしても、失敗ばかりしていたとしても、どんなことをしていても自分には価値があるということです。
存在価値は一切傷つきません。
実存している価値は「価値がある」と言えるけど「価値がない」とは言えなくて相対するものがありません。
認識している価値とは
実存している価値は、ただ存在しているだけで持っている価値のことでした。
認識している価値というのは、自分に対して「私には価値がある」とか「価値がない」と認識している価値のことをいいます。
例えば
「私はみんなの役に立ててるから価値がある」
「私は必要とされてるから価値がある」
「私は嫌われてるから価値がない」
「私は親を悲しませたから価値がない」
「私は父から認めてもらえてないから価値がない」
「私は一生懸命勉強したから価値が高い」
「私は会社役員だし給料もたくさんもらっているから価値が高い」
という感じで、他の何かを引き合いに出しながら「私には価値がある」とか「私には価値がない」などと思ったり感じている価値のことを認識している価値といいます。
ほかにも以下のように、自分以外のものを引き合いに出してはじめて「価値がある」とか「価値がない」と思ったり感じたりしています。
「母を喜ばせたから価値がある」
「悲しませたから価値がない」
「父からこう言われたから価値がない」
「一番になったから、、、」
「先生に認められたから、、、」など
自分自身に対して「私は価値がある」「私は価値がない」などの話しをしているとき、そこには必ず価値を認識するために使っているほかの何かが存在します。
自分の存在価値とは?!自分に価値がないと感じる
「実存している価値」と「認識している価値」、このふたつの関係は無関係です。
価値が高いとか、価値が低いと思っていたとしても、それは全部認識している価値であって実存している価値とは一切関係がありません。
自分を肯定したり否定したりすることもあるけれど、それは認識している価値であって、本当に私たちの価値が低いわけではありません。
例えば親から、「あなたってほんとうにだめね」と言われたとします。
すると脳内では、過去に親や友人から言われた言葉や行動で「だめな自分」を探し出してきます。
「幼少期失敗ばかりして親をイラつかせてたな。あの時もだめだったから、やっぱり今も私はだめって言われるよね」など心の中で過去のダメだった私を探し出して、現在の親の言葉と結びつけ、その言葉が真実であるかのように認識してしまうのです。
そうして「やっぱり私はだめだ」という服を着るようになります。
親からダメだと言われたとしても、それで「私はだめだ」と思い込んだとしても、その人がその人であることに変わりありません。
変わりなく価値があるはずです。
それが実存している価値なのです。
「あなたってほんとうにだめね」と言ったのは親の意見にすぎないし、それを自分の脳内で証拠を探し出し「やっぱり私ってだめなんだ」と思うのは自分に対して認識している価値にすぎません。
自分にはどういう価値があると思っているのかという認識部分が親からの言葉で変わるのです。
ちなみにこのとき、過去に「私はだめ」という記憶がなければ、脳内で証拠探しをしても見つからないので、親の「あなたってだめね」という言葉に対して、「親は何か嫌なことでもあったから私に当たってるのかな」や、あるいは冗談だと笑い飛ばしたりできます。
ふたつの存在価値のうち「実存している価値」のほうを見ることができれば「私には価値がある」とすぐに分かります。
しかし私たちには目に映る部分しか見えないので、価値があるとか無いという認識を持ってしまいがちで、実際は、存在そのものの持っている価値のことは見えていないものなんです。
私たちは事実を正確に捉えることはできなくて歪んで捉えているものです(人の認識がそれぞれ違うことから分かると思います)。
そして私も相手も認知が歪んでいるものです。
だからといって認知を外して事実を正確に捉えようと思っても、私たちには意識があるのでできません。
認知は私たちの個性をつくるものです。
だから認知を否定するのではなくて、私も相手もそれぞれの認知があることに気づくことが大切。
どんな人でも、どれだけ最もらしいことを言っていたとしても、それはその人の意見なのであって事実ではないので、その意見の最後には「~と私は思う」という言葉が隠れているものなのです。
そこで、「あなたはそう思っているんだ」とか「それはあなたの意見だよね」などと心の中で置き換えるといいと思います。
ということは、親から「あなたってほんとうにだめね」と言われたとしても、これも事実ではなく、正確には「あなたはダメなんじゃないかと私は思う」ということになります。
親にそう言われたことをうっかり信じ込んでしまい、「私はだめ=価値が無い」となったのかもしれません。
存在価値まとめ
以上、「自分の存在価値とは?!自分に価値がないと感じる」でした。
「実存している価値」は存在そのもののもつ絶対的な価値
「認識している価値」は自分に対して認識している価値
私たちは唯一無二の存在です。
何かと比較することはできません。
私の存在価値は傷つくことはないし、傷つけられることもありません。